障害がある子もない子も同じ教室で一緒に授業を受ける、インクルーシブ教育。
昨今推進されているようですが、毎日母子登校で娘と一緒に授業を受けていると、日本の公立小学校ではまだまだ難しいんじゃないか・・・と感じます。
だって、学校はそもそもいろんな子を受け入れるようにはできていないから。
いや、いろんな子は受け入れるけれど、とりあえずこういう授業をするからみんなついてきてね、みたいな感じでしょうか。授業も教室も教科書も、先生方の配置も、すべては一斉教育を念頭に作られて(計画されて)いて、子供の多様性に対応するとは思えないのです。
インクルーシブ教育について、思ったことを書き連ねてみます。
一斉授業は難しい
身体的な障害を持つ子については周りにいないのでよくわからないのですが、学習障害と自閉スペクトラム症のグレーを抱える娘の視点で言うと、指導内容が一律の一斉授業はつらいことが多いですね。
できるものは問題ないのですが、できないもの、例えば算数とかはそもそもついていけないので、「わかる」という喜びがとても少ない。そして、テストとかになると、早く終わった子に「まだそんなとこやってんの?」「なんでわかんないの?」とか言われたりして、メンタル的にも厳しい。
国語の音読で、「立ち上がって自分のペースで読んで、読み終わったら座りなさい」というのも結構酷です。娘はだいたい最後まで読んでいて、先生は優しく待っていてくれるけど、1人だけまだ座れないでいるのは、やっぱりちょっと切ないです。
できない上に、できなさを痛感させられる状況ばかり。
一律、一斉であるがゆえに、はみ出たものが目立っちゃう。
できる子からしたら、できない子に時間を取られるのは嫌だろうし(待っているのは退屈だろうし)、先生としても、定められた指導目標まで授業を持っていかなきゃいけないから、一部の子に時間を取られるのは嬉しくないんじゃないか・・・
と思うと、一斉授業でインクルーシブって無理があるよなぁと感じます。
クラスの人数が多い
最近の法律改正で小学校の全てのクラスが35人までとなったようですが、1人の先生が見る数としては、まだ多いんじゃないかと思います。
小学生、それも低学年の子は、障害がなくてもまだまだ落ち着かないです。40〜50分間の授業を大人しく聞いていられる子って、たぶんほとんどいない。そしてクラスに35人もいたら授業がどこか他人事になって、お喋りしたり授業を聞かない子が増えて、余計にわけわかんなくなる。
そういう子の注意もしなきゃならない先生に、理解が難しい子の面倒も見てというのは無茶な気がします。
うちの先生も、時々娘の席まで来て個別に教えてくれたりしますが、その間、他の子達はヒマしちゃって、喋ったり立ち歩いたり、わちゃわちゃです。特定の子の面倒を見ようとすると、他の子を放っておかなきゃならないんですよね。
理想的には、待っている子は自習なんでしょうけど、まぁ無理・・・子供30人余りが同じ空間にいれば、注意する大人がいなければ絶対カオスになります。
ちなみに、クラスの人数については何十年も前から議論されているようですが、人数が少ないほど授業中の問題行動が減り、他の子に対して排他的な傾向も減るみたいです。あと、低学年は学力の向上も見込めるようです。
参照:「学級規模が児童生徒の学力に与える影響とその過程」(国立教育政策研究所 平成 25 ~ 26 年度プロジェクト研究「少人数指導・少人数学級の効果に関する調査研究」調査研究報告書)
やっぱり少人数の方がインクルーシブ向きですよね・・・
環境は簡単には変えられない
先日、以下の記事をネットで見ました。
文科省、通常学級に在籍する障害ある児童生徒の支援検討会議報告(リセマム) - Yahoo!ニュース
そこに、
通常の学級に在籍する障害のある児童生徒へのより効果的な支援施策の在り方について、具体的には、「校長のリーダーシップの下、特別な教育的支援を必要とする児童生徒の実態を適切に把握し、適切な指導や必要な支援を組織的に行うための校内支援体制を充実させること」があげられている。
という文章がありましたが、やっぱり具体的なことは各校任せという感じですね。今ある環境で、先生たち頑張ってね、みたいな。
もうすでに先生方が頑張っている感じは、すごくあります。うちの娘も普通のクラス(通常級)に所属しながら通級指導教室(週1回2時間)でお世話になっていますが、先生同士連携していたり、細かく面談があったり、指導計画書などの書類も毎学期しっかり作成されていたり。そして何より先生方みんな、うちの娘含め、何かしらの困難を抱えた子たちによく声をかけている。
ただ、教員配置の都合とか、通級に通う子は取り出し授業(算数など苦手科目だけ個人指導を受けること)はできない等の自治体?国の?ルールがあったりして、何でも柔軟にやるわけにはいかないようです。
そして教室や教科書など、設備や道具も基本は一律なので、いろんな子に対応するには限界があり・・・
こういうものが劇的に変わらないと、たぶん理想のインクルーシブには近づけないんじゃないかと思います。
でも学校単位じゃ、教員配置も設備も道具も劇的には変えられない。
話は飛びますが、ニュージーランドの小学校は、5歳になった子から順次入学していくため一斉に授業をするのが難しいので、教科書はなく、それぞれの子に合ったプリントなどで指導していくそうです。
これぐらい枠組が柔軟ならインクルーシブ教育もやりやすいんじゃないかと思いますが、今の環境だとまだまだ大変そうですね。
学校が変わらなそうだから、私設のフリースクールやオンラインスクールがたくさん出てきたのかなと思ったりします。(オンラインはコロナも大きいと思いますが)
以下、関連しそうなもののリンクをいくつか貼ります。
学校以外で学ぶ方法って、いろいろあるにはあるんですよね。お金はかかるので、悩みどころですが。あとオンラインだと、人間関係とか体育とかは難しいかな・・・
見ていると、不登校からの需要も結構多いですね。
フリースクール全国ネットワーク | 日本全国の子どもの居場所・フリースクールをつなぐネットワーク
おうちで学習するだけで出席扱いになるオンライン学習【サブスタ】
読み物
フリースクールってどんなところ? 学校との違いや学べる内容、費用をわかりやすく解説|ズバット通信制高校比較
公立小が98%の日本で「オルタナティブスクール」が増える本当の価値 | 東洋経済education×ICT | 変わる学びの、新しいチカラに。
オルタナティブスクールとは?種類と特徴・注意点をご紹介|知育・教育情報サイトoriori [オリオリ]
日本のインクルーシブ教育の考え方
ここまで来て、インクルーシブ教育ってなんだっけと思って調べたら、ユネスコと日本の考え方に差があることに気づきました。
ユネスコ:
・インクルーシブ教育の対象は障害のある子供だけでなく、すべての子供である。
・子供たちを既存の教育システムに合わせるのではなく、教育システム自体を子供たちの多様性の合わせて変えていく。
・多様なニーズに対応できるより良い方法を模索し続ける。
日本:
・障害のある者が一般的な教育制度(general education system)から排除されない。
・(障害のある者が)自己の生活する地域において初等中等教育の機会が与えられる。
・(障害のある者が)個人に必要な「合理的配慮」(reasonable accomodation)が提供される。
日本はあくまでも「障害のある者」に主眼を置いています。障害のある子が今まで利用してきた特別支援教育の形を維持したまま、普通の学校でも教育が受けられるようにする、という。
参照:
・インクルーシブ教育とは?専門家が明かす、その特長や課題、実例を紹介 | パラサポWEB
・基本的な考え方 - インクルーシブ教育システム構築支援データベース(インクルDB)
私はユネスコ寄りのイメージを持っていましたが、日本はそこまでいかないんですね。
障害のある側としては、地元の小学校に通えるのは、近いし友達も近所にできて嬉しいのですが、学習面についてはただ居場所があるというだけなので、結局は特別支援教育に関連した施設やサービスを利用しないと、自身の能力アップは難しい。(苦手なものは苦手なまま終わっちゃう)だからちょっと面倒・・・って、昔よりはマシなんだから贅沢言うなと言われちゃうかもしれませんが。。
でも、そもそも普通のクラスには来ず、支援級や支援学校に初めから通う子もいますよね。(たまに「交流」といって部分的に通常級に参加する子もいるみたいですが)
やっぱり日本の学校は、まだ壁があるんだと思います。っていうか、まだ壁を完全に取り除く気はないみたい。
日本もユネスコの提唱する通りに、教育システム自体を変えればいいのに。
そうしたらもしかして、学校が苦手な子が減って、不登校も減ったりして?
(公立を避けて)小学受験や中学受験をする子も減ったりして?
個人で教育にかけるお金も減って、経済的に楽になって、少子化が少しは改善したりして?
なんて、妄想してしまいます。飛躍しますが。
でも意外と、学校の影響って大きいんじゃないかと思います。
うちの子たちの学校生活に関しての記事はこちらにまとまっています。お時間あればぜひ。