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うちの子育て経験談。子育てエピソード(最近は学校多め)や子育てで使ったものなどを書きとめるブログです。当ブログにはアフィリエイト広告が含まれています。

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修学旅行の意義と、イギリスの修学旅行の思い出

去年の4月から不登校の息子。
去年の(5年生の)修学旅行は、不参加でした。

今年の6年生の旅行も、もうすぐ参加不参加を出さなければならないんですが、たぶん行かないんじゃないかな・・・

息子は「返事、ちょっと待って」と言いつつ、行きたくなさそうな顔をしています。

 

去年は、修学旅行の日程の後に、家族でその旅先に行ってきました。
学校に復活したいと言っていたので、みんなと同じ風景を見た方が復活後に話題を共有できるかなと思って。

でも結局復活しなかったんですが。

今年については、去年ほど復活しなそうなので、不参加だったとしてもわざわざ話題共有のために行かなくていいかな、と思ったりします。

でも・・・

今年の行き先(日光)は世界遺産だし、話題云々じゃなくて本人のために、やっぱり行った方がいいかな?(個人で泊まるなら、日光金谷ホテル(PR)もいいな〜なんて、不謹慎にもワクワク・・・)

でも・・・

世界遺産を見るのが目的なら、今年じゃなくてもいいかな?
いや、小学校のうちに行くべき?

などと考えながら、ふと、修学旅行の意義ってなんだっけ?と思いました。

 

 

修学旅行の意義


画像:日光東照宮のパワースポットを巡ろう!女子旅にもおすすめの参拝ガイド 【楽天トラベル】

 

小学校の学習指導要領では、修学旅行は学校行事に分類されています。

 

第6章 特別活動

学校行事

目標
 全校又は学年の児童で協力し,よりよい学校生活を築くための体験的な活動を通して,集団への所属感や連帯感を深め,公共の精神を養いながら,第1の目標に掲げる資質・能力を育成することを目指す。

(遠足・集団宿泊的行事)
 自然の中での集団宿泊活動などの平素と異なる生活環境にあって,見聞を広め,自然や文化などに親しむとともに,人間関係などの集団生活の在り方や公衆道徳などについての望ましい体験を積むことができるような活動を行うこと。

出典:文部科学省 小学校学習指導要領(平成29年告示)(PDF)

 

うーん、やっぱり集団生活も大きな柱ですね。
考えてみれば当然ですが、小学生のうちに体験するのは大事というか、いいことなのかもしれない。

見聞の内容は、絶対これ!というのはなさそうだけど。

でも集団苦手な子(息子とか)にとっては、やっぱりハードルが高いんだろうなぁ。

 

修学旅行の歴史

修学旅行は、日本で生まれた教育文化なんだそうです。
今は東アジアの国でも修学旅行があるそうですが、世界全体からすると少ないみたい。

日本修学旅行協会のウェブサイトに、修学旅行の歴史が載っていました。

公益財団法人日本修学旅行協会公式ページ 修学旅行の歴史
(ページ下部にPDFがあります。協会理事長 竹内秀一さんの文章)

長いので抜粋すると(それでも長いですが・・・)、

 

・1886 年2月に東京師範学校筑波大学の前身)が実施した千葉県銚子方面での11 泊12 日に 及ぶ「長途遠足」からはじまった,というのが定説。

・兵士が隊列を組んで 行進することを模した「行軍訓練」という性格をもつ教育活動として実施が推奨されていく。

・生徒たちは訓練と併せて気象の調査や鉱物・ 貝類等の観察・採集,文化財・遺跡の見学などを行っている。

・修学旅行が行軍訓練という性格を持つ以上,徒歩で行うこと が当然であった。

・1889年頃には(関西の学校の記録により)鉄道も利用されていたことがわかる。ちなみに1889年は,東海道線の新橋-神戸間が全通した年である。鉄道利用の広がりは,修学旅行のもつ行軍訓練という性格をしだいに薄くしていった。

・「兵式体操」は正課としての「体操科」の中に位置付けられた。これによって修学旅行からは「兵式体操」,すなわち行軍訓練の要素が分離され,現在実施されているような修学旅行のかたちができあがっていった。

・1910年に韓国が日本に併合されると,師範学校や旧制中学校ではいわゆる「満韓修学旅行」が実施された。

・「満韓修学旅行」は,明治末期から大正を経て昭和初期まで活発に実施されていたが,旅程に日清・日露戦 跡の見学が組み込まれるなど,当時の国策に沿って行われている。ただし,「満韓修学旅行」は,1931年に勃発した満州事変,1937 年から始まる日中戦争によって急速に減っていく。

・一方,内地で実施される修学旅行では,伊勢神宮を中心とする神社仏閣や皇居への参拝,軍艦や軍施設等の見学がこの時期に盛んになる。(中略)昭和戦前期になると小学校へも広がっていき,修学旅行は,伊勢神宮参拝を主な目的とする「参宮旅行」といった性格を呈するようになっていった。

・明治末期~昭和戦前期は,小学校から旧制中学校・師範学校に至るまで,修学旅行が学校行事の一つとして定着した時期である。その背景には社会全体の国家主義的な思潮があり,学校教育で敬神思想や国体観念を育成しようという国家のねら いがあった。修学旅行は,そのために広く実施さ れるようになったといえるかも知れない。

・鉄道が軍需物資や兵員の輸送を優先するようになると修学旅行の実施はしだいに困難になっていった。(中略)1944 年,45 年の修学旅行の記録は,現在のところ見当たらない。

・戦後,学校教育が再開されると一時停止されていた修学旅行も,戦前・戦中とは性格を変えて再開されていく。

・旅行は交通事情・食糧事情の極めて悪い中で行われていたし,家庭の費用負担も大きかったと思われる。それでも実施されたのは,多くの学校が修学旅行の教育的意義を認めて いたからであろう。

・列車の混雑に関しては,修学旅行の実施時期が春と秋に集中していることが大きな要因となっていた。また,当時は旅行中の食中毒や感染症罹患,生徒の不良行為といった事態も頻発。

・このようななかで修学旅行専用車両「ひので」号・「きぼう」号の運行が始まる。品川-京都を結ぶ 「ひので」号は修学旅行を合同実施する関東地区の学校を,神戸-品川を結ぶ「きぼう」号は関西 地区の学校を,それぞれ連合体として1959 年4月から輸送し始めた。その後,同様の専用車両が各地で運行されるようになり,課題であった混雑 の解消や実施時期の分散化,事故防止等に大いに役立つこととなった。

・1968年からは東京都や北海道など公立高校の連合体が新幹線の利用を開始し,以後, 全国の高校・中学校にも広がっていく。その結果, 1971 年の「きぼう」号の運行終了をはじめとして, 修学旅行専用車両は次々に姿を消していった。

・航空機の利用が全国の公立学校に広がっていくにつれ,修学旅行の旅行先は大きく変わっていくこととなる。

(以下現状/主に中高)

・宿泊は,中学校・高校ともに洋室中心のホテルを利用することが 主流となった。大部屋に多数が宿泊して「まくら投げ」と いうのは,もはや伝説化しつつある。

・急速に増えているのが農山漁村の民家に宿泊する「民泊」である。これは,ただ宿泊するのではなく,宿泊先の家族の一員として,その家庭の生業をはじめ暮らし全体を体験するもので あり,新しい修学旅行のかたちとして今後も増加していくことが予想される。

・かつては, バスガイドの案内で生徒たちがぞろぞろと名所旧跡を見学してまわる,いわゆる「見学・周遊型」 が普通であったが,現在では多くの学校が班別自主行動を取り入れ,あまり移動せずに旅行先で 様々な体験活動を行う「体験・滞在型」がそれに代わってきている。

・修学旅行のメインテーマは,歴史学習としている学校が多く,平和学習がそれに次いでいる

・原爆や戦争体験者の高齢化に 伴い学校が重視する「体験者の講話」を聴くことが難しくなってきた。最近では,現地の学生が生徒を案内して戦跡をめぐったり,生徒とともに 「戦争と平和」に関するディスカッションを行った りという新たな試みも見られるようになっている。

 

修学旅行の内容にも世相が出ていて、興味深いです。

 

私がイギリスで体験した修学旅行

高校時代にイギリスに留学したとき、地理の授業の一環(Geography Field Trip)で、スコットランドのアラン島(Isle of Arran)というところに5日間くらいの日程で行きました。

 


画像:アラン島 (スコットランド) - Wikipedia

 

イギリスに行っていた時のことは、こちらの後半に少し書いています。

iorog-kolog.com

 

地理の授業をとっていたのは6人ぐらいだったんですが、人数かなんかの都合で近隣の女子校の生徒数名と一緒。なので、先生を合わせて12、3人で地元(イングランド南部)から電車を乗り継ぎ、船に乗ってアラン島へ。

 

アラン島は自然が豊かというか、地理学・地質学的に面白い島なのですが、行ったのが2月で・・・

ただでさえ寒いスコットランドに、なぜ2月に行くんだか・・・寒くて寒くて震えていました。天気も悪くて、最初、アラン島に渡る船が出なくて船中に雑魚寝で一泊させられるし。。

まぁ、イギリスの学校は2月が時期的に一番余裕あって、旅行しやすいのかもしれませんが。

 


画像はVisit Arran より

 

で、現地に宿泊のできる研修施設があり、そこ専属の先生がいてレクチャーやフィールドワークの引率をしてくれたのですが、毎日毎日島の中を歩くんです。ひたすら歩く。

そして先生は足が速くて、足場の悪い崖っぽいところもひょいひょい行くので、みんなヒーヒー言いながら必死でついていく。

足が棒になるというのを、リアルに体験しました。筋肉が疲れて硬くなって、足が前に出ない。でも歩かないと、羊のフンだらけの凍てつく荒野に置いてかれる・・・みたいな。

恐怖の修学旅行でした。笑

 

でも日本と違って、班を決めたり役割分担したり、みたいな集団のあれこれは一切なかったけれど(もちろん一緒に過ごす上でのルールはあるけど)、その代わり内容はすごく濃かったです。面白いものをたくさん見た。そして、現地の研究者は足腰が強いということを知りました。笑

 

「集団」よりも「内容」重視の、イギリスの修学旅行。
息子にも経験させてあげたいです。